サブカル 語る。

サブカルチャーなどについての雑談

今週号の「ゆらぎ荘」に少年漫画の読者高齢化を感じた

こんにちは。

 先週は本業のネットワーク業務が立て込んでいたため、関西に土曜日から月曜日まで出張。そんでもって本日は通常業務。まぁ振替休日を今週まとめていただくので、別にいいんですけどね。疲れた身体と頭を引きずりながら新幹線に乗り、その道中で今週の週刊少年ジャンプ購入。あー今週、約束のネバーランド休載かー。Dr.STONEもだんだんむちゃくちゃになってきたなー、でもおもろいからいいやー。なんて考えながら電車を乗り継いで帰宅。その後、今週号のジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」という漫画のカラー表紙が賛否両論の話題とになっていることを知りました。温泉に浸かっている主人公のカラーの裏にはタピオカを題材にした番外の短編が掲載されており、それを光で透かすとそのタピオカが主人公の乳首になる!っていう演出になっていたそうです。

 

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出典:ゆらぎ荘の幽奈さん集英社_ミウラタダヒロ

  漫画の中のせまいコマに人物を詰め込みすぎな画風が苦手なのと、僕にとって物語が面白くないので普段ろくに読んでいない作品のため、どうでもいいっていえばどうでもいい話題です。ただ、今回の演出についてツイッター上では作者を天才!と持て囃したり、タブーに挑んでいる!とかいう評価の声が集まっているのを見て、そんな連中への軽蔑から発生した薄笑いが僕の口元に浮かんでいるだけです。

 

 だって、ふつうに考えてみ?いい年した大人がマンガのカラー表紙を光に透かせて、「うぉー!このカラー表紙は光に当てると、裏面のタピオカの絵が乳首に見えてくる!作者、天才だ!」とかみんなで騒いで拍手喝采。客観的に言って「お前ら、バカか?」と思わざるを得ません。その光景はまるで週刊大衆や週刊現代などのエロ袋とじをコンビニで立ち読みをしながら、なんとか覗こうと努力するしょぼいおっさんを思わせ、その頭の悪さと惨めさといったらありません。想像するだけで涙が出てきそうです。この文章を読んで怒るオタク共もいるだろうけど、自分がそのカラー表紙を光に当てている光景を身近な人たちに見られた場面を想像してみ?みっともないだろ?

 この作品の演出だけでなく、週刊少年マガジンなどでも普段よりエロ描写が強いエピソードは袋とじで公開!とか数年前からやっているけどはっきりいってそういうエロと自主規制のギリギリの悪ふざけっていうのはおっさんが購読対象の雑誌で培われてきた手法なんだよね。こういう手法が増えてきているっていうのはたぶん、少年漫画雑誌の購読層が高齢化傾向にあるっていうことなんだろうな。と思う。何度も言うけど作品を売るためにエロを安易に使うっていうのは物語の敗北なんだよ。っていっても、たぶん誰もそんなこと考えないんだろうな。

 

※程度については議論すべきだけど、僕は性描写そのものまで否定するつもりなどありません。ただ今回みたく物語の文脈と関係ない唐突なエロ描写は「お前ら、こういうエロ好きだろ?」という制作側の決めつけを感じるので不愉快には思う。心あるオタクはフェミをどうこういう前に、こういう制作サイドのナメた態度を批判するべき。読者やオタクを「二次元キャラ」に欲情する存在とステレオタイプな決めつけをもとに商品を売りつけているのは作者と出版社だからな。ってかそんな「やらせ」「馴れ合い」みたいな消費が最も不愉快。


 

女体だーい好き!こそオタクとこの社会の本音である!

こんにちは。

 毎度毎度の時候の挨拶みたいな書き出しにも飽きたので、今回は本題から。

今回のブログの本題はこのポスター。

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出典:日本赤十字社

 この辺について何度もブログで書いてきたので「どうぞお好きに」という想いもあり、基本的にスルーしようと思っていたんだけども、ある評論家の「性的表現の線引きってなに?この献血のポスターがだめならうる星やつらのラムやルパン三世峰不二子など他の巨乳キャラはどうなんだ?」みたいなツイートに対して多くの賛否があったのを見たのでため息をつきながら「何度も同じこと書いているんだけどなぁ。こういうのを『不毛』っていうんだろうなぁ」とキーボードをカチャカチャと打っております。

 

 

女体だーい好き!

 まず、明確にしておきたいのは僕はフェミニストではありません。あくまでオタクの立場からこういった女性の体形のポスターについてどう思うか?ということを書いています。そのためこのポスターや個別の表現についてはあまりどうこう言おうという気もありません。ただ、このポスターや今までこのブログでも取り上げてきたポスターなどを見ていて確実にいえることはひとつあります。

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 それはオタクが「女性の肉体が好き」であり、現実社会においても女性の水着やセミヌードのポスター、グラビアが乱立しまくっていることから『オタクっていうか世間の男は女性の肉体が大好きであり、昔も今も女性の肉体の写真やデフォルメした女性の記号を衆目集めやモノを売るために利用してきた』という身も蓋もない現実」です。こういうポスターを「表現の自由」というフレーズで擁護するオタク共や評論家さんたちにいいたいのは「皆さん、表現の自由がどうこううるさいけれどもこのポスターとかアニメの巨乳キャラたちを通じて表現したいものは何ですかい」という疑問です。で、たぶん僕のその問いについてまともに答えようという人はいないでしょう。これを突き詰めたら以下の本音を認めざるを得ないから。僕は優しいからそんなチキンな奴らに代わって言ってやる。

 

「俺たちオタクや男は女の肉体だーい好き!今までもこれからも女性の胸やお尻を使い世間で堂々と流通させたい!合法的に流通させて合法的に女性の肉体を眺めて楽しみたーい!」

 

僕もまた女性を搾取してきた

 だからそこに異を唱えてくる奴らは邪魔!なんでしょう。僕もオタクであり、男性である限り、その女性への肉体搾取に関わってきた者の一人であること。その搾取に疑問を持たず長年享受していたため、その価値観を変えるのに苦慮し続けていることは否定しません。そういう意味では、僕も女性の性的搾取について当事者であり責任はある。この宇崎ちゃんのポスターや雑誌のグラビアが目に触れるとついくぎ付けになったり、なりかけていたことに気づき「いけねぇいけねぇ」と呟きながら頭をボリボリ掻く。そんなところです。 

 

表現の自由大義に逃げる卑怯な社会

 だけど、それでもその女性の肉体消費に対して疑問や不快感を持つ人も少なからずいるという事実を否定して目を背けるのはやっぱりフェアじゃないだろ?と思うんですよ。せめて消費するなら、それなりにその現実に対して自覚的でありなさいよ。そのうえでこの先、女性の肉体について男や社会がどう向き合っていくべきかを考えていこう。女性という他者の不快感について「表現の自由」を大義名分に、その罪の意識から逃げまくるのはあまりに不誠実だよ。というのが僕の意見。今回の献血ポスターや女性の体形を強調した地域おこしのポスターも含めて問題は各表現における女性のデフォルメ表現の程度ではありません。寧ろそこに話題を持っていくのは「論のすり替え」であり逃げです。この問題の根幹にあるのは「衆目集めにデフォルメした女性の肉体を使いつづけているこの社会のあり方」「男性サイドの合法的に女性の肉体を眺めて楽しみたいという欲求そのもの」です。バカなオタクは「表現の自由」といったフレーズに踊らされ利用されて「俺らは女体大好き」「今後も衆目集めに女性を使ってやるぞ。お前ら文句言うなよ!」と、女性たちが聞いたらドン引きな本音を言いたくてもいえないやつらに煽られているだけ。結果さらにオタクは女性に嫌われる。という構図に気づいていません。バカだから気づけないんだろうけど女性に好かれたいんだったらいい加減気づけ。何度もいうけど、俺はオタクの味方だぞ。それなのになんで敵扱いされなきゃならんのだろうって思うだけであほらしいけども言ってやるのがオールドオタクの務めだと思うのでこうなったら、何度でも言ってやる。ありがたいだろう?

 


 

 

※俺が上述の献血ポスターの企画者だったら宇崎ちゃんのとなりに鼻血吹いているオタク共を描いて「その血を空想でなく、現実で役立てないっスか?」と書くな。たぶんその表現に怒るオタクもいるだろうけどその自虐を笑う余裕が嘗てのオタクたちにはあったんだよ。このブログで何を書いても文句言うなよ、オタク共。これもお前らの大好きな「表現の自由」ってやつだからな。

建前のヘタな人って実はすごくバカじゃないかと思う。

こんにちは。

 本日のブログのテーマは「ホリエモン」こと堀江貴文。先日環境相になりたて&新婚ホヤホヤな小泉進次郎が国連サミット前にステーキを食いたがり、実際に食べに行ったことについて多く集まった批判に対してホリエモンがこうコメント。

 

www.nikkansports.com

 

 以下、記事引用。

国連気候行動サミットに出席した小泉進次郎環境相が、米ニューヨークで高級ステーキ店を訪れたことに対し、批判が高まっている。家畜は温室効果ガスを排出し、中でも牛は排出量が多く、ブラジルのアマゾン川流域での火災問題も、牛の牧畜用地の開拓をしようとする、人間によって引き起こされていると言われている。堀江氏は、その件について聞かれると「こういうことを言うと、持論を展開とか書かれてしまいそうだけど…僕は牛肉が高いというものなんだということを浸透させることが、環境負荷を減らす意味では正しいと思う。安くて大量に生産するから環境負荷が上がるわけであって、丁寧に高い牛肉を少量生産しているだけなら環境負荷はなきに等しい状況になる」と語った。

その上で「小泉進次郎が高級ステーキを食べに行くのを批判するのは、全くの的外れだと僕は思う。それはズレている。ただ、たたきたいだけだろうと。みんな、1カ月に1回くらい、ステーキを食べに行けると思う。『いきなり!ステーキ』とか安い。僕だって食べに行く」と語った。

 

 僕、単純にこの記事を読んで「堀江も進次郎も、公私を使い分けられない人」だなという印象を持ちました。世間的には社会の反発を恐れずに本音を言える人とかいったイメージでもてはやされているけども。

 

 食用の牛肉を生産するためどれだけ環境コストがかかるか?っていうのは環境問題に関心を持っている人ならなんらかの形で得ている情報なのは皆さんもご存じのとおり。詳しくない人で興味があったらネットで「牛肉 生産 環境問題」とかで検索すれば、だいたいの情報が手に入ります。

 

 牛肉は確かにおいしい。僕も大好き!だけど、その消費は確実に将来的な地球環境を蝕むものとなる。まさにその辺は衣・食・住で「文化」という名の快楽を知った人間の業と長期的、地球的な視野で社会を考えるべきだ。という理性のせめぎあいであって、それゆえに単純な二元論で結論を出せません。そんなジレンマを抱えながらも世界は「牛肉の食用禁止!」「いやいや全廃なんてやりすぎだよ!せめてみんなで食用を制限する努力を!」などという議論へと向かっていくだろうと思うけど、その道のりは簡単ではないと誰もが思っているはずです。簡単ではないけど環境保全のため残されている時間を考えると議論は避けられないだろう。国連サミットってそういう場だと思うんですよ。その場で議論を交わすのが仕事の奴が「俺はステーキ食いたいから食うぜ!」とマスコミにコメントしたら周りの人はどう思うだろうか?っていう話だろ?僕が会議の議長だったら胸倉をつかんで「別にステーキ食うなとは言わねぇよ。俺だって、たまに食べる。お前がステーキを1~2人前食ったところで、直接環境にも影響ないだろう。だがそういう問題をみんなで考えようっていう時に、そんなことを言うな!お前やる気あんのか?お前の本音を周囲にまき散らすな!せめて公私の本音、建て前を使いわける大人になって来い!ガキ!」と怒鳴りつけるでしょう。

 

 これってサブカルにおけるエロ表現もおんなじよ。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 昨日、上記のブログ記事を書いたら変な人のブログに引用されてかなりイラついているんだけど何度でもいわせてもらう。別にエロ表現大好きでもおおいに結構なのよ。ただ僕はオタクにこう言っているだけ。

 

簡単に「表現の自由」を語ってエロ絵を正当化したがっている人も多いけども、それを見たくないという人の「人権」を考えると、そんな簡単なものじゃありません。もちろん萌え系エロが好きで欲する人たちの人権もあり、それについても尊重されるべき。そのためにもう一度オタクや業界はサブカルにおけるエロ表現について考えろと僕はいっているのです。 表現の自由なんていう言葉で言い訳をせず、それを欲する自分とそれらを嫌う他者について考えろ。そのうえでエロの基準やその商品流通の在り方(それこそグリッドマン抱き枕から、キズナアイなどを含め全般の)ゾーニングやプライベート空間のみの所有など社会と折り合いをつけながらお互いの納得できる妥協点を探すべきだと、何度も訴えているのです。分からない奴らが多くて、イヤになるけど。

オタクの被害者意識に「エロ」の言い訳で使われる「表現の自由」 - サブカル 語る。

 

 皆さん、この文をエロ表現の規制や弾圧を求める声に読めます?僕はその辺がさっぱりわからなくて困惑をしているのでぜひ多くの意見を聞いてみたい。

 

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ヒーローにメッセージを語らせるだけの大人になりたくない。

こんにちは。

 業務に追われていて夏休みを未だまともに取得できていない今日この頃な僕ですが、皆さんお変わりありませんか?そんなどうでもいい僕の近況はこの辺で本題。

 

 

 

 先日、このブログ記事にそこそこの反響をいただき、有難うございました。

 

arrow1953.hatenablog.com

 

 

人間の女の子だけだったプリキュアが後のシリーズで妖精や男子、成人、老人、人間界と対をなす魔法界の魔女っ子、組織を抜けた敵キャラや更にはプリキュアに守られているだけだった町の人々なども変身できる存在となり、その変身できる対象の広さが物語の多様性を具現化しているともいえますがこの長きに渡るシリーズでもまだプリキュアになっていない存在があります。それは「外国籍の女の子」。僕それをやるとしたら来年に控えた東京オリンピックのタイミングだろうなと思うんですよ。

来年のプリキュアのテーマを今年のスタプリから予想してみる - サブカル 語る。

 

子どものアニメ番組に社会の理想を見る 

 家族で池袋のプリキュアイベントに行った後、来年のプリキュア東京オリンピックに絡めて国際的なシリーズになるんじゃないか?っていうのがこの記事の要旨ですが、イベント会場には中国語や韓国語で喋りながら楽しそうに笑いあう親子、白人の親子も
見受けられました。プリキュアは世界各地で放映されており、人気を得ているとのことなので、自分の肌の色と同じプリキュアがテレビの向こうで暴れ回るのをみたら多くの子どもが喜ぶだろうなぁ、という想いがこの発想の原点ですけど、アニメが日本の誇る文化というならプリキュアの物語の舞台もそろそろ狭いこの国を飛び出していくというのもアリだろう?と、結構マジで思っています。ただ、この「外国籍プリキュア」にはこの国の大人が「日本スゴイ!」とひたすら暑苦しい自画自賛を叫びながら周辺諸国のことを偉そうに見下したり貶めたりするような論調が多く目につく現在だからこそ、子ども向けアニメであるプリキュアみたいな子ども向けアニメには「バカな大人みたくこの国に引きこもるな!世界の人と仲良くしなさい!」というメッセージをちびっ子に語ってもらいたいという僕の願いみたいなものも反映されており、本来ならそれは僕たち大人が子どもたちに語ったり、生活の中で実践して諭すべきことだということもぜったいに忘れてはいけない。それって言ってみれば、大人の務めをヒーロー(ヒロイン)にただ押し付けて、任せっきりにしているのと同義ですからね。

 

ヒーローの語る正論どおりの社会を僕らは作れるか?

 子どもの頃からアニメや特撮を見続けて育ち、大人になってもヒーローという存在にどこかで憧れている自分。腕を交差させスペシウム光線も出せず、威力強大なライダーキックも放てない自分。会社や社会の中で矛盾に出会ってもまともな正論を組織の論理で口に出来ず、その矛盾にイラついていることも多い自分。ぶっちゃけダメダメな大人だけど、それでも自分の強く憧れたヒーローたちが物語を通じて教えてくれた真っ当な生き方の実践を諦めてはいません。真っ当な生き方っていっても難しいもんじゃない。

 

他人を思いやり、貶めない。

他者の違いを固有の「文化」として認め、できるだけ受け入れる。

自分の利益のために他人を傷つけない。



真っ当な生き方、正義なんてそんな大げさなもんでもありません。本来、誰でもできるものであり、みんなが暮らしやすい国で生活したいと思うなら最低限守りなよ。という程度のものであって、それらを率先して子どもの前で実践してみせるのが大人の務めであると思っています。

 

 だけど最近この国ではそんな誰でもできるはずの真っ当さの実践だけでなく、それを口にするのもなかなかつらい。例えばツイッターでマイノリティーや他国を貶める発言を見つけただれかがそのひどさに耐えかねて「そういう振る舞いはみっともないからやめなさい!」と呟くと、口汚い声が多く群がって発言者を追い詰めていく。そしてその後、また楽しそうに他人を貶める呟きや敵意を煽るデマを広める。そんなことを続けた結果として日本とお隣の国との関係は、今までよりもはるかに危機的状態にまでなりました。たまにこのブログにもちょっと世相や政権批判的なブログの記事を書くと、そういう傾向のコメントが寄せられることもあって、僕もゲンナリさせられています。最近ブログから遠ざかっているのはそのせいもあるのかも。

 

僕が子ども時代だった昭和時代。その頃は多くのヒーローたちがテレビで子どもたちに「人として真っ当な生き方とは何か」を提示してくれた時代でもありました。陳腐な言い方だけども「弱い立場の人を思いやり、その立場にいる人たちを苦しめ、虐げる暴力を許さない」。僕たちは大なり小なりそういうヒーローの姿を見て育ってきた筈。その姿に憧れていた筈。

 

大人になった皆さんは、ヒーローに憧れた子ども時代のあなたを裏切っていませんか?僕は最近、プリキュアウルトラマンタイガを娘とテレビで観ながらいつもそれを自分に問いかけております。

 

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プリキュアだけでなく、ウルフェスにも家族で行きました。

 

 


 

 

今週のお題「夏を振り返る」



来年のプリキュアのテーマを今年のスタプリから予想してみる

こんにちは。

 

 世間はそろそろ夏休みもあと数日。20年以上社会人やっている自分が思い出すのは、小、中学生時代に40日以上の夏休みがありながらも計画的に宿題をやらずにいたために後半泣きまくっていたあの頃の苦い記憶。振り返ると、まともに宿題をきちっとした形で提出できたことなかったんじゃないかなぁ。そんなダメ人間だった僕もどうにか大人になり、毎日満員の電車に揺られて会社に通い、期日(ギリギリではあるが)までに業務をこなせるようにはなっているので今年の夏休みも宿題でアップアップなお子さんがいらっしゃる保護者の方も心配することもないっすよ。

 

 っていうことで本題。先週土・日曜日に妻と娘とで池袋まで遊びに行ってきました。目的はもちろん娘のプリキュアへの愛に応えるため、池袋サンシャインシティにて開催されていた「スター☆トゥインクルプリキュア おほしSUMMERバケーション」!

 

precure-event-ikebukuro.com

 

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 ラストの土日だけあって「キラ☆やば~っ」な混み方でしたけど娘はプリキュアのコスチュームを着て笑顔で踊ったり歌ったりご満悦。妻もスマホで写真を撮りまくり。な日になりました。ちなみにこの「キラ☆やば~っ」っていうのは物語の主人公、星奈ひかるが驚きや喜びを表す口ぐせ。先日、そのひかるのお父さん(声:大塚明夫)もゲストキャラとしてアニメで出演して親子揃って「キラ☆やば~っ」を連発していたのでその光景に似たものがあったかも。実をいうと僕の声、大塚さんに似ているのです。ごめん、うそ。

 

 そんなどうでもいい冗談をさておき。このスター☆トゥインクルプリキュアのテーマは「宇宙」。今回のこのプリキュアは宇宙からやってきた少女「ララ」と妖精「フワ」と出会い、プリキュアの力を手にしたひかるが同じくプリキュアとなった仲間たちと共にララの宇宙船で多くの惑星を行き来しながら宇宙支配を目論む組織「ノットレイダー」と戦いを繰り広げるというのが基本になっておりますが、この作品の大きな特徴はプリキュアになるのは地球人だけでなく宇宙人もであるということ。前作「HUGっと!プリキュア」は思春期の女の子だけでなく老若男女みんながプリキュアになれるという設定になっていましたが、今回は「地球人」っていう種族をも越えたことになります。

 人間の女の子だけだったプリキュアが後のシリーズで妖精や男子、成人、老人、人間界と対をなす魔法界の魔女っ子、組織を抜けた敵キャラや更にはプリキュアに守られているだけだった町の人々なども変身できる存在となり、その変身できる対象の広さが物語の多様性を具現化しているともいえますがこの長きに渡るシリーズでもまだプリキュアになっていない存在があります。それは「外国籍の女の子」。僕それをやるとしたら来年に控えた東京オリンピックのタイミングだろうなと思うんですよ。

 

 最初はオリンピックにちなんで、スポーツをモチーフにするプリキュアじゃないかと思っていたんだけどもあまりにもイージーな発想なのでもっと一捻りある筈だと考えをめぐらせているうちに今回のスタプリはメキシコ人の父親、日本人の母親を持つヒスパニック系ハーフな「雨宮えれな」がキュアソレイユとなってレギュラーを務めているのに注目。そしてこの人種を越えたキャラ、えれなを「多国籍プリキュアの準備、リサーチキャラじゃないだろうか?」と深読み。意外にありえそうでしょう?多国籍プリキュア。実現条件もそろっているんですよ。

プリキュアは海外でも放映されていて人気が高い
 ⇒海外マーケットの拡大という意味においても、旨味がある。

②来年は東京オリンピック

 ⇒外国に注目が集まる機会も増える。

③テーマのひとつ「多様性」に符合する
 ⇒外国籍の女の子プリキュアは出ていない

④ハーフキャラを今作で出している

 ⇒外国籍キャラへの不慣れさを減らす効果を狙っている(想像)

東映の特撮番組で「国」をモチーフとした作品がある

 ⇒バトルフィーバーJっていう多国籍プリキュアのルーツになりそうな作品がある。厳密にいうとこの作品の変身メンバーは外国籍ではないんだけどもね。

 

 こんな感じにこの予想を組み立てる材料を述べてみたけれどどう?外国プリキュア、あってもいいんじゃない?って思えてくるでしょう?さてさて今回のこの予想。見事に的中か大外れかおたのしみ。ただ、仮にそうなったとしても日本制作のアニメである以上、メインキャラは日本人の女の子だとは思う。この多国籍プリキュアが実現したら、プリキュアのモチーフを国名ではなくオリンピックの五輪にちなんで「アジア」「アメリカ」「アフリカ」「オセアニア」「ヨーロッパ」という風にするかも。でなけりゃ、日本のプリキュアチームだけでなく世界各国にもプリキュアチームがあるという設定になったりするかも。シンプルに物語の舞台は日本でインターナショナルスクールに通う人種の異なる女の子たちのプリキュアとかにするのが妥当か?などと決まってもないのに、勝手に考えています。だけど、プリキュアが世界中の女の子たちに人気なら白人や黒人の子もプリキュアとなって戦う物語を見たいだろうなぁ。そうなったら多くの子がきっと喜ぶだろうなと思うんですよ。いつの日か実現したらいいのに。

 

※こういうことをいっていいか分からないけど、良質なエンタテインメントを作ることに軸足を置きながら「子育て」や「ジェンダーフリー」「男性に頼らない、自分の足で立てる女性の自立」など常に社会にもしっかり目を向け、世相に向けて何らかの言葉を発してきた「プリキュア」が現在、この国を覆っている「ナショナリズム」的なものに何もいわずにいるなどありえない。という期待みたいなものもおそらく僕の中にはあるっていうことは正直認めざるを得ない。プリキュアにそういうのを背負わせるつもりなんてまったくないが。ってかそんなの背負わせたらダメだ。

 


 

 

 

戦争を知らない子どもたちは「戦争」をどう語るべきか

こんにちは。

 

 昨日は敗戦記念日終戦ではありませんよ。「敗戦」です。日本が「国益を守る」という大義名分のために、多くの国民の生命や財産、権利などを犠牲に強いて戦った挙句、大敗を喫しただけという最低な歴史を振り返り、もう二度とその愚行を繰り返すまい!と強く誓う節目となる日です。バカなネトウヨたちは「その犠牲のおかげで今の日本があるんだ」とこれまたアホな主張をデカい声で語っていますが、その犠牲がなかったら、犠牲を強いた戦争がなかったら嘗ての大勢の日本人は家族や友人を囲んでうまい飯を食い、遊び、語らい、互いに笑いあって幸せで平和な歴史を生きてこられたことでしょう。彼らは平和のため犠牲になったんではありません。国が権力を使い犠牲を押し付けることで幸せを奪われただけです。

 

 さて本題。「ガラスのうさぎ」などで有名な児童文学作家の高木敏子さんが自身の体験を交えた講演で、最近「戦争発言」で騒がれた丸山穂高にこう発言をされたそうな。

 

hochi.news

 

以下、リンク先を引用

 

講演の中で高木さんが「丸山っていう代議士が北方領土に行って、4島を取り返すそれには戦争しかない。もうぶん殴りたいぐらい」と憤りを露わにした。

 

 この発言についてツイッターではまた人間の心を解さない、解せないバカが「平和主義者のくせに暴力発言」などと揶揄する声が散見。そんなアホは少数派と思いたいところだけど、たぶん高木さんはバカな丸山に、というより、最近の「戦争」を巡っての軽々しい発言やそれを許すこの国の空気そのものを、ぶん殴ってやりたいと思っているんじゃないだろうかと思うのです。戦争によって大切なものを奪われたことも、奪ったこともない奴らが「あの戦争には正義があった!」なんてほざいている。その人数は確実に増えており、もはや単なる少数派でもないのかもしれない。としたら実に愚かなことです。僕が高木さんと同じ立場だったら、ぶん殴ってやりたいどころか突っ走って言葉よりも先にぶん殴っているかもしれません。

 

 とはいえど。そういった発言などに対する僕の憤りも本当に自分のものなのかな?とついつい考えることも少なくありません。戦争という体験を持たない僕が、戦争体験者と同レベルの説得力を持った言葉を発せられるのかという疑問があるためです。

 

 今から10年ほど前のことになります。僕は多摩地区で行われたの戦争体験者の集いで戦争体験話を聞く機会があり、そこで頭を殴られるような経験を味わったのです。戦争体験者の数人から「二度と戦争は嫌だ。戦争を若い人に体験させてはいけない」という話をきいたこともあり、僕はやっぱみんな同じ想いを抱いているんだな。と思い込んでいたのです。そんな決めつけから話を聞き続けていた時、ある人から「もし今度戦争があったら徹底的に仕返ししてやりたい」という話に触れて、僕は思わず言葉に詰まったのです。たくさんの人を犠牲にする戦争。もしまたあったら復讐してやりたい。その思いがけない答えに「ふざけるな!」と怒鳴りたくても戦争を知らない僕にはその資格がない。戦争の復讐を戦争で!なんてふざけた答えだと今でも思っていますけど、戦争を味わっていない僕が何をいったところでその老人には単なる「絵空事」でしかない。その老人の解答も、是非はともかくとしてこれもまた「戦争」だと理解できているけど感情で納得できない。だけどこの戦争体験から来ている言葉を僕や社会は目を背けてはいけない。情報だけで語る戦争肯定と体験を交えて語る肯定のどちらが愚かなのか?そんな逡巡を、未だ引きずり続けています。たぶんこの先も。

 

 戦争なんて間違っている。大勢の人たちを暴力に巻き込んでいく政治なんて、絶対に許されない。認めない。その思いは揺らぐことはありません。だけどそういった言葉を僕よりも若い世代にどう伝えていくべきか。戦争というリアリズムをもたない僕たちが戦争という愚行をどう語るべきか。これは遠くない将来に待っている課題だけど、そのリアリズムを補うのはやっぱり物語、サブカルなのか。そのサブカルも最近は、こんなバカが幅を利かせている。

 

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どうしたものかねぇ。

 

 


 

 

 


 

 

 

戦争をめぐる漫画の作者による、ある対談について

こんにちは。

 日常業務にかまけてブログも怠け気味の今日この頃ですけど、皆さんお元気ですか。山本太郎サブカルをめぐる関係についての雑感や、あいちトリエンナーレを巡る表現の自由についてなどかきたいことはあるんだけど毎日の仕事で頭が疲れているせいか、全然思考が回らない。さらに本も読めないので新たな知識の蓄積にも乏しい…っていうことをウダウダいっても仕方ないな。

 

 

「戦争」は漫画で語りえるのか?

 さてさて本題。8/15は日本の終戦、いやいや敗戦記念日。それにちなんで多くのメディアでも「太平洋戦争と日本」について語るでしょうけど、その中で目を引いたのが今週の週刊ヤングマガジン(以下ヤンマガ)誌上にて企画された対談。現在ヤンマガでは特攻兵になったものの軍上部からの「特攻の命令」を拒み続け、生き残った老人の実話取材を劇作家の鴻上尚史さんがまとめた本を原作とする「不死身の特攻兵」というマンガが連載中ですが、原作を手がける鴻上さんと同じく、青年漫画誌の週刊ヤングアニマルでペリリュー(現在のパラオ共和国)で戦った日本兵の証言などを元に描くマンガ「ペリリュー」作者の武田一義さんが戦記漫画を通じて感じたことを率直に語り合っています。

 

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戦争のリアリズム欠如による日本の歴史の美化

 陸軍の二等兵と空軍の特攻兵。おかれた立場は違えども二人には「気がついたら祖国は戦争を始めていて、そこに自分がまきこまれていた」といった共通点があります。この国で嘗ての戦争を語る言葉で問題なのはこの「気づいたら国民は戦争に巻き込まれていたのだ。」という数十年前の人たちの体験談をリアリズムに満ちた教訓として共有されていないという点に尽きます。だからこそ安易な「国交断絶」だの「文句があるなら戦争だ」だのといった耐え難いほど軽い言葉が巷には溢れるのでしょう。だからこそこんな軽いバカの描いた本が売れたのでしょう。

 

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戦争の爽快感、戦争の充実感、戦争の感動!

 

勝っている戦争はカッコいい!

 

所詮、他人事で観客目線でしかない戦争肯定 

 なんだこの他人事な観客目線の主張。おまけにこのバカが韓国や中国等周辺国に住む人々の顔を醜く描き、針小棒大なデマを大声でまき散らしたせいで日本全体に他国へのヘイトが広まることになった。さらに、戦争で残虐な行為について反省を語ってきたひとを自虐的な価値観に洗脳された憐れな人扱い。それらを真に受けた人にも責任はあるけど、このバカはその責任から逃げまくって一介の言論人きどり。俺はこの国で多くのネトウヨを育てて政治・経済・文化をめちゃくちゃにするきっかけを作った挙句、そのネトウヨたちの素行などが問題になってくるとあっさり切り捨て保身に走り何の責任もとろうともしない小林よしのりを絶対に許さない。

 

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 戦争に行きますか?それとも日本人やめますか?その問いについては戦争に向かって走りそうな国会議員がいたら辞めさせますよという答えのほかに何がある?このバカ野郎め。